▼星新一『おーいでてこーい』からでてきた、二つの物

 自分にとっての読書体験で、幼いころに受けた決定的な衝撃が小学校のころに二つあります。一つが手塚治虫の『火の鳥』で、もう一つが星新一の『お−いでてこ−い』です。『火の鳥』についてはいずれここに書くつもりですが、今回は『お−いでてこ−い』について。この作品は中学の教科書にも採用されていたので有名な作品ですが、未読の人がいたらぜひ読んでみてください。立ち読みでも読める程度の長さですから。

 始めて星新一を読んだのは小学四年か五年のころで、学校の休み時間中に、友だちが一編のショートショートを読んでみなと勧めてきたのです。それが星の作品で文庫本だった事は覚えているのですが、作品名は愚か内容もあまり覚えていません。その時は最後にどんでん返し的なオチのついたこんな短い話があるんだ。という印象があっただけで、特に感銘を受けたわけではなかったのです。しかし六年になった頃に読んだSFの特集本に収録されていた『おーいでてこーい』は衝撃的だった。なぜ以前読んだ星作品やそれまで読んだ物語と違って、この作品が特に凄いと思ったのか?

 一つは皮肉がきいているということで、その皮肉をきかせるためにオチを用意している点だ。それまで、人々が安易に解決していた問題(つまり逃げていた)がまさに文字通り、我が身にそっくり降りかかってくるのである。このただ人を驚かせるためだけに用意されたわけではないオチというのが新鮮だった。テーマを強烈に示すために作品に仕掛けを施すのである。

 もう一つは、結末をはっきり書いていない点にある。こうなるであろうという結果を予兆させるだけに留め、その先を書いていない。この作品においては結末の解釈が人それぞれになる事は無く、ほとんど一つになってしまうけど、この予兆だけ書いてサラリと筆を止めてしまう手際のよさに感心してしまった。

おーいでてこーい「ボッコちゃん」所収/星新一/新潮社文庫

 それ以来、この二つの仕掛けを持った作品とういのに魅かれるようになってしまった。のちに読んだ作品の中で、「テーマを強烈に示すために作品に仕掛けを施す」作品の代表が筒井康隆の『ロートレック荘事件』だ。作品に仕掛けられ罠によって身体障害者に対する差別意識と、差別される側の被害者意識の両方を読者に認識させるという構造を持っていて、差別問題に真っ向から挑んだ作品でミステリーの体裁をもちながら優れた文学作品であった。

ロートレック荘事件/筒井康隆/新潮社文庫

「結末をはっきり書いていない」作品で印象深かったのは乾くるみの『匣の中』だ。この作品は竹本健二の『匣の中の失楽』のオマージュとして書かれた作品で、『…失楽』がミステリーでありながら、全ての謎を解決せずに終わってしまうアンチミステリの傑作と言われる作品であったために、それと比べられてしまって、評価の低い作品である。しかし乾の『匣の中』は結末らしい結末がちゃんとあり、それがかなり面白い(トンデモではあるが)にもかかわらず、実はそれはオチに見せかけているだけにすぎず、本当の結末は隠されたままである。そんな驚くべき仕掛けを持つ傑作だと思うのだけど、別の結末が存在する事に気づかずにいるためか作品の評価が低く、今ではこの本は絶版です。

匣の中/乾くるみ/講談社ノベルス

 そんなわけで、自分の本の趣味を決定づけた(変な方向に?)作品が星新一の「おーいでてこい」なのです。