▼『女王の教室』女王の本心

"女王の教室" 9、10話
NTV
Japan(2005)
Official Web

 フジロック行ってきてからドラマの録画がたまってしまったのと、フジロックの記事書くのが忙しくてドラマの記事書いていませんでしたが。『女王の教室』もあと最終回を残すのみとなりました。

 真矢の意図に生徒がどう反応し、どう帰着させるかが最大のポイントだったのですけど、真矢の教育によって自主性を良い意味で得た生徒たちが最後に先生を受け入れて終わるであろうというこちらの予想の更に上を行く大団円も期待してます。10話まで見た感じですと、かなりいい感じで終わりそうです。

 9話の放送で、親との和解を授業参観の日に設定して、それぞれの生徒同士の繋がりを見せつつ、親を説得したのはなかなかドラマチックで素晴らしい構成だと感心してしまった。まあ、親が全て一律で子供の意見に反対、そしたら今度は一律で子供の説得に納得。ってあまりにも都合が良すぎる展開だが、ドラマだからそこら辺はスマートに見せなければならないのでしょうがない。

 しかし、ここまで持ってくるのに長かった事。ドラマの話数はだいたい10話前後と決まっているから、真矢が悪者のままで続けなければならず、途中かなり無理のあるシーンやワンパターンな展開が多く少し退屈したけど、やっとここまで来ましたって感じだった。

 真矢のノートパソコンから自分たちの弱点が記録されているファイルを削除するシーンは、学校にノートパソコンを置きっぱなしにするのを当然と考える生徒たちの不自然さと、パスワードのブロックをクリアするハッキング能力を持っている生徒が、真矢でなくとも当然作ってあるはずのバックアップの存在に頭が回らないはずも無く、あまりにも子供だましすぎて、不要なシーン。これは時間稼ぎ用に作られたシーンだったのかな。

 10話でとうとう教育委員会が乗り出してきた時、ひかるが思いついた作戦が、真矢に今まで疑問に思っていた質問をする事。たとえば「なぜ私たちは勉強をしなければならないのか?」とか。自分たちの真矢に対する気持ちの判断と、教育委員会の判断を同時に行おうという方法で、また感心してしまった。やっぱりひかるは頭がいいね。

 真矢がいつもよりかなり突っ込んだ答えを返したのも、そう言った事を聞ける準備が生徒たちに出来てきたって考えれば納得がいく。

 そして一番の謎だった真矢の過去。教職員再教育センターになぜ送られていたのか? という秘密も明かされる。生徒をボコボコにしたせいで、その生徒は暴力をなんとも思っていない生徒だったからだと。その生徒が真矢に言ったセリフが「なぜ人を殺しちゃいけないんだ?」だった。

 真矢は人を殺してはいけない理由を、「殺人は殺された人の人生を奪うだけでなくその周りの人たちの人生も奪う行為」「それぞれの人間が生きる権利、人が幸せになることを奪う権利は誰にも無い」と答える。そして、人の痛みを理解できない人間に対して、暴力を加える事によって、生身である人間の痛みの辛さを知らしめたのだという。これが真矢の現時点での答えだった。

 しかし「なぜ人を殺しちゃいけないんだ?」という問いの答えはそんな簡単なものではない。真矢も言っているとおり、その生徒がこの質問をしたのは、それにはっきり答えられる大人がいないと解っていたからだ。この「なぜ人を…」の質問にはいつも嫌悪感がつきまとう。それはその質問を問う側の心理をついつい考えてしまうからだ。だいたい、この「なぜ人を…」なんて改めて考えなくとも、その答えをはっきり言葉で表せなくたって、殺人は私の中では最大のタブーだ。そこに論理的な解答が無くとも充分である。だから、その質問を問う人がどういう意図でその質問をしてくるのか? その心理の方に興味が行ってしまうというのがまずある。

 真矢の言った「それぞれの人間が生きる権利、人が幸せになることを奪う権利は誰にも無い」という答えは至極全うだが完全ではない。この答えは最初から殺人がタブーであると実感している人に対しては有効であるが、人の痛みを理解できないに人間にとっては意味がない答えであるからだ。人間の持つ良心に訴えているだけだ。

 この答えに間違うと、ジャンプコミックスの『デスノート』に出てくるライトの言う「世の中を良くするためならば殺人も構わない」という理論にも対抗できない。このままでは、まるで死刑廃止論者の論調のようだ。

 ただ、真矢の言った「なぜ人を…」の答えは、小学生に対する答えとしては充分だと思う。しかし、真矢が人を殺してはいけないということを解らせるために生徒を殴ったのなら、それは大きな間違いだ。他人の痛みが解らない者に痛みを加える事によって、「そうか。痛みってこんなにつらかたんだ。自分がこんなに痛いんだから、それを他人に与えてはいけないんだ」なんて思うはずが無い。これも良心の反応に期待しているだけに過ぎない。このような脚本だと、真矢は「どんな人にも、どんな立場に立った人にも良心に訴えかける事で問題が解決する」と思っている教師のように見えてしまう。誰もがこんなふうに思うんだったら、戦争やテロなんてとっくの昔に解決している。力による痛みがその者に与えるのは憎悪のみである。テロの報復による戦争が更なるテロを生み出すだけに過ぎないのは、アメリカとイラクの例を見るまでもなく明らかな事。

 じゃあ「なぜ人を殺しちゃいけないんだ?」と問われたらどう答えるべきなのだろう? 凄く簡単に言ってしまえばそれは、「共同体にとって利となるものは許され、害となるものは許されない」からである。「個人的な利害によって生ずる殺人は、繰り返される報復なのどを産み出し、共同体の秩序を乱す原因になる」だから、共同体にとって個人的な殺人は許されないのである。最初から人間の中に良心があって殺人を封じていたのではなく、長い歴史の積み重ねの中で共同体にとって負となる事が、悪い事であるとすり込まれてきたから、普通私たちは殺人は悪い事であると認識しているのだ。だから共同体が存続する上で正統だと見なされた殺人、つまり戦争などは承認されてきたのである。

 以上がその答えなのだけど、これだけでは説明不足だし小学生に対して言う事でも無い…  つまりは真矢の言った事で充分てことか。

 和美が「幸せって人によって違うんじゃないんですか? 幸せって、決めるのは他人じゃなくて、自分なんじゃないんですか?」という質問に真矢は「そういう考えもあるわね」と答えたが、幸福って「"幸せ"というあらかじめ決まったものが存在していたのではなく、人間が選んだものを"幸せ"と名付けてきたのだから、人によって違うのはあたりまえ」なのだから、和美の言っている事はあたりまえに思える。じゃあ、真矢の言う「そういう考え」意外の幸福って何?

 次回の予告を見ると、真矢がある男に首を絞められているシーンがあった。真矢が以前ボコボコにした生徒か? 暴力が産み出したのは結局暴力だったって事だろうか。

 真矢は前の学校で起こった事件を反省し、その事で得た教訓によって生まれた教育方針が、今回のドラマでとられた方法なんだろうか? もしこのドラマが素晴らしい結末を迎えるのだとしたら、真矢はこの、ボコボコにした生徒の問題をはっきりさせなければならない。

 真矢自身も「間違う事がある、痛みを感じる事もある。それはつまりみなと同じ生身の人間である」という感じを見せはじめていてるということなのか? それは少し寂しい気もする。最後まで真矢は真矢らしく颯爽として終わってほしい。(けっしてエンディングのように笑顔でダンスなどせず)