▼ドラマ『野ブタ。をプロデュース』第1話追補 『猿の手』

"The Monkey's Paw" & "野ブタ。をプロデュース"第1話
NTV
Japan(2005)
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第1話>

 ドラマ『野ブタ。をプロデュース』の中に”猿の手”という猿の手の干物のような物が二本出てきて、キャサリン(教頭先生)が三つの願い事がかなえられるアイテムだ、と言います。この”猿の手”はW・W・ジェイコブズの古典的怪奇小説の傑作『猿の手』から来ている物で、この小説について、以前私が作ったフリーペーパーの『鋼の錬金術師』の記事の中に少し書いていたのでそれを引用します。ネタばれも含みますので、注意してください。

 W・W・ジェイコブズというイギリスの作家の書いた短編小説に『猿の手』というのがあります。いくつもの怪奇小説アンソロジーに収録されていて、古典的名作とされている話です。ストーリーは、ある老夫婦と息子の三人が暮らしている家に、退役軍人がやってきて、彼らに三つの願いを叶えてくれるという、干してミイラにした猿の手を与えます。この「猿の手」は、ある行者が『人の生涯は定められしもの、逆らう輩はそれ相応の報いを受ける』という事を示すために作った物だといいます。半信半疑な父親は、今住んでいる借家を買い取れるだけの値段二百ポンドが手に入るようにと願をかけた。翌日工場で働いていた息子が機械に巻き込まれて死んでしまったため、会社側が補償金として二百ポンドをもってきた。悲観にくれる老夫婦だが、今一度「猿の手」を使って息子が生き返るよう願をかけるが… という話です。愛する者が死んでしまい、その者を生き返らせたい。という願いがテーマとなっています。同じテーマを扱った作品にスティーヴン・キングの『ペットセマタリー』という長編もあります。これも子供を失ってしまった父親のが死者を甦らせてくれるという「ペットの墓地」で息子を生き返らせようとする話になっています。こちらは長編だけあって父親の喪失感が壮絶なまでに書かれています。

鋼の錬金術師』も母親を失った幼いエドとアルが、母親を生き返らせようとします。そして前にあげた二作品同様大きな代償を払う事になります。この『愛する者を生き返らせる』話というのは、読者自身が「自分だったらどうするであろうか?」とついつい考えてしまうところにポイントがあるのではないのでしょうか。そして殆どの人が、どんな結果が待ち受けていようとも、結局生き返らせてしまう道を選ぶのでしょう。そのやるせなさが読む者を惹きつけ『鋼の錬金術師』を面白くし、そしてエドとアルのキャラクターに深みを与えているのでしょう。

 エドとアルは賢者の石を手に入れ、手と足とアルの身体をもとに戻した時、本当にそれで満足できるのでしょうか? もしかしたら賢者の石の力を使ってもう一度…

 蛇足ですが、鈴木光司のホラー小説『リング』の続編『らせん』も息子を生き返らせる話になっています。しかし『猿の手』や『ペットセマタリー』とは少し違った結末になっています。これは『リング』が「父性」を裏のテーマにしていたのに対し『らせん』は「父性の勝利」をテーマにして書いていたからだと思います。そうやって考えると『ペットセマタリー』は「人間の敗北」がテーマになっているとも考えられて、『らせん』と読み比べてみるのも面白いです。

 ドラマ『野ブタ。をプロデュース』の中での”猿の手”の役割は様々だ。

 キャサリンは「頭の中では何を考えたっていい。そうやって気持ちを切り替えて行けばいい」そういって自分の気持ちをスッキリさせるために用いる。

 信子は、それを聞いていじめっこの坂東が消えてなくなる事を願うが、引っこ抜かれて無くなった柳の木が新しい世界で再生するというのを見て、坂東のいる世界を望む。それはつまり自分で自分を変えて行く事の決意を示している。

 彰は世界平和を願う。彰の純粋さを示すエピソード。

 修二は柳の木が何処かで生きている事を願う。これは、柳の精でもある信子(見た目のさえない柳の木は信子の象徴だ)の幸せを願っているようにも読み取れる。強引な解釈だけど、もともと柳の木は修二にとって、彼が学校内での立場を演じ続けるために必要な支えだった。柳の木が無くなった時点でその、自分を支える物が信子になったわけだから、そう強引な解釈ではないかも。

 一話の中では”猿の手”に願いをかけた事による代償は何も無かった。しかし、ラストのモノローグで「僕たちは人の深い悪意に触れる事となる」見たいな事を言っていたので、今後訪れる試練は”猿の手”の代償という事になるのでしょうか?

 小説『猿の手』は『怪奇小説傑作集 1』創元推理文庫、『乱歩の選んだベスト・ホラー』ちくま文庫などに収録されています。

文庫: 怪奇小説傑作集 1
文庫: 乱歩の選んだベスト・ホラー