『DEATH NOTE』前編 金子修介監督 NTV

原作の『DEATH NOTE』は第1部のL編まで読んでます。大好きなコミックです。
今日テレビで映画版を観ました。デスノートの原作を知らない人が観ても面白いか? というのを意識しながら観たつもりですが、やっぱ原作の展開とか緊迫感にはかないませんでした。
冒頭、ライトは日本の法律で裁けない犯罪の多さに嘆き、悲しみのあまり六法全書を投げ捨てます。するとそこにデスノートが降ってきます。原作とは違ったかなり人間的な感情を持ったライトという印象です。
DEATH NOTE』はライトのロジックとLのロジックの戦いです。ですからそのロジックに穴があったり、ロジックに偶然の産物を組み込んでしまうと、この物語の魅力は半減してしまいます。原作にも緻密に考えると、かなりロジックに穴があります。
たとえば、原作でテレビ局にやって来た勇気ある警察官が二人ほど心臓麻痺で死んでしまいます。その状況を見たLは驚き、「今まで名前と顔を知らないと殺すことが出来ない」という決まり事を否定せざるおえなくなり、結果、名前もを知らなくとも殺すことの出来るキラが存在すると結論付けますが、このシーンはよく読むと「死神の眼」を持たないライトにも作れることができます。(ヒントは「死の状況をコントロールできる」)なのにLはその選択肢を無視して強引に推理を進めてしまいます。
レイ・ペンパーの名前を知るために取ったライトの行動も、尾行している人物が、堂々と尾行相手の真後ろの席に座るというFBIのエージェントとは思えない間抜けな行動や、いくつかの偶然が重ならなければ出来ないとても危うい計画でした。普通に考えたら失敗率の方が高く、しかも失敗したら、自分がキラである疑いをかなり高めてしまうようなものなのに。
映画版ではさすがにマンガ版ほどレイ・ペンパー(映画ではレイ・キタムラ)は間抜けではありませんでした。しかし、バスジャック犯がもしノートの切れ端を握りしめたまま車にはねられていたら、ノートの切れ端を回収する暇はなかったはずです。ノートには「バスジャック犯がノートの切れ端をライトの目の前で落とす」と書いてあったわけではないですから。L側にノートの切れ端がわたってしまう危険性もあったわけです。
ポテトチップスにテレビを仕込む計画も、「コンソメ味は僕以外の家族は食べない」というのも、来客などが来てそのポテトチップスを出さないとも限らないわけだし(可能性は薄いが)食べないからといって、その袋に絶対に家族が触らない保証はどこにも無いわけです。銘柄を確認するために持つこともあれば、戸棚にほかのものを入れるために少しずらすかもしれない。そのときにテレビが仕込まれていたら絶対に重さで気づいてしまいます。彼が勉強を初めて、TVの電池が切れるまでの間に必ずしも犯罪が報道されるとは限らない。ライトは監視カメラが一週間で外されることを知らないわけだから、勉強中に偶然新しい犯罪が報道されるまで、ライトは同じことをし続けなければならないわけです。そんなに毎回コンソメ味のポテトチップを同じ場所に置いて食べてたらLは絶対にそれを調べます。ただでさえキラの行動で犯罪者が殺され、表立った事件が減っているはずなのに。
マンガ版でレイが間抜けだった代わりに、映画版では南空ナオミが間抜けだった。Lの下で働いていたことがあるほどの優秀なエージェントだった彼女が、名前を知られてはならないはずの相手に婚約者だと告げるなどあり得ない。バカすぎる。
もうひとつ、ライトはナオミが詩織を撃ってしまうことは計画的だったと告げる。「日本にはそんなに拳銃を持っている人はいないから」というのが根拠だったけど、部屋全体に監視カメラと盗聴器が仕掛けられているような異常な状況もあり得る中、いつ自分やナオミの周りに監視している警官や他国のエージェントがいるかわからない状況だとは思わないのだろうか? 極めてシンプルな結末という状況に、ナオミが誤ってライトを撃つとか、警官が誤射して詩織を撃ってしまうというのもあり得る。もし警官が詩織を撃っている場合、警察の行き過ぎた行動という事になり、ライトのキラ捜査班への協力などあり得なくなる。(警察が自分を疑っていたことで恋人が殺されたわけだから)
作中では天才対天才が緻密頭脳戦で戦っている状態が面白いので、そのロジックに穴が無いほど面白さは増す。逆にあまり偶然に頼った計画ばかりだと、ライトやLの天才性に疑いが出て来てしまう。
ここまで『DEATH NOTE』のあら探しばかり書いて来たけど、最初に書いた通り、原作は大好きです。Lが最初のテレビ放送で、神になったつもりでいるキラにたいし「きみのやっていることは悪だ!」と断罪するシーンなんか身震いするほどかっこ良かった。ライトの父親が車でTV局に突進するシーンも興奮しました。
ただ、好きなだけに粗があるとがっかりしてしまう。普通推理小説ってかなりしっかりしたロジックで書かれていて穴がありません。なのに『DEATH NOTE』はあまりしっかりしたロジックではなく、「都合の悪い可能性は考えない」ところが少しある。ここら辺が完璧ならばコミック版はものすごい傑作になっていたと思う。
映画版の出来はナオミが間抜けだったところと、CGのリュークがのっぺりしていておもちゃの人形のような質感で酷いという以外は、まあまあだったと思う。
今回はミサミサ役の戸田恵梨香嬢の出番が少なかったけど、後編にはたっぷり出てくるでしょうから(拘束シーンも!)それが楽しみだ。まあ戸田恵梨香が出ていればロジックもクソも気になりません。
あと、原作同様LはMacユーザーだった。

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