▼三宅乱丈の『ペット』でバッドトリップ

『ペット』三宅乱丈 ビックコミックス/小学館 全5巻

ペット 1-5巻

「ペット」は見るべきところの多いマンガだ。マンガを面白くするためのいくつもの要素がうまく機能しているからだ。

 大まかな内容は、他人の記憶に入り込み、それを改変する事の出来る超能力者たちの物語だ。そして、その記憶改変には幾つかのルールがある。まず、人がもつ数ある記憶の「場所」の中には重要な「場所」が二つあり、ひとつは「ヤマ」と呼ばれ、その人を支える、最も幸せな記憶の作った「場所」で、もうひとつが「タニ」とよばれ、その人を痛め続ける、最も不幸な記憶の作った「場所」である。この二つは、光と影の関係で人の生を支えている。そして、どちらかが欠けると精神のバランスが崩れ、廃人になってしまうのだ。

 中国人マフィアの「会社」は、人の記憶に侵入できる能力者を囲い、仕事をさせている。もともと能力者は他人の「ヤマ」に侵入し、その記憶の辻褄を合わなくさせることで「ヤマ」を壊し、人を廃人にしてしまう「潰し屋」といわれる存在だった。そこに新しく「イメージ」と言われる能力を持つ者がが現れる。「イメージ」を扱える者は、他人の記憶の中で自分自身の存在をコントロール出来る能力を持つため、他人の記憶を都合のいいように書き換えてしまうことが出来るのだった。

 基本となる「ヤマ」と「タニ」の存在と記憶を書き換えるための幾つかのルールが設定され、登場人物たちがそれぞれの私惑のために、そのルールを逆手にとった、超能力バトルを展開させる。ルールの存在が、スリルとサスペンスを産む。これが、このマンガを面白くしている、ひとつの要素だ。また、その複雑なルールの説明を、物語のテンポを落とす事無く、うまくストーリーの中に配置している点も見逃せない。 タイトルにある「ペット」とは、ある能力者たちに対して使われる蔑称である。「ペット」と呼ばれる者たちは生まれた時から、他人の精神に感応しやすいため、自分の「ヤマ」を持てず、自我の持てない存在として生きていた。しかし「イメージ」を使える能力者は、自分の「ヤマ」をコピーすることで、彼らに「ヤマ」を作ることができる。「ヤマ」ができた事によって自我が生まれ、人格も形成され、「ペット」は人として生きていく事が出来るようになる。

 しかし、コピーされた「ヤマ」を持つものは、その記憶がコピーであるが故に、アイデンティティが希薄で、自分の「ヤマ」のオリジナルを持つ者こそが、自信の存在を定義付けてくれる唯一の存在となってしまう。これがペットと飼い主の関係に例えられ、コピーの「ヤマ」を持つものが「ペット」と呼ばれるのである。

 この「ペット」と「飼い主」の関係が愛憎を産む。子供が母親を独占したいと思うようなエディプスコンプレックスや、自分を支える物が無くなってしまった人間の葛藤が描かれ、複雑な人間の心理や関係性が、このマンガを面白くしている要素となっている。

 このマンガの中で、記憶というのは、その人の受けた印象によって大きくアレンジされて頭の中で再生されている。その記憶の描写はとても幻想的に描かれ、「ヤマ」は美しく、「タニは」極めてグロテスクに描かれる。そういった記憶の中で、能力者の扱う「イメージ」はそれぞれの個性を反映したものになっていて、性能や機能も様々だ。主人公ヒロキは「魚」を「イメージ」として使い、林は「風」司は「水」悟は「どこでもドア」メイリンは「蝶」といった具合だ。

 美しくも刺激的な記憶の場面と、「イメージ」を駆使した記憶操作の作業の描写。そして現実世界の場面の中を、読者は行ったり来たりトリップし続ける、この目眩く感覚も、作品を面白くしている要素のひとつだ。

 と、ここまで、三つの要素を抜き出して、マンガ「ペット」の魅力を解説してきたけど、未読の人にはいまいちイメージしづらいマンガだと思う。しかし何度か読んでいるうちに、複雑な設定とストーリーを見事な構成力で、まとめている作者の力量に舌を巻き、以上の三つの要素にハマリ、抜け出せなくなってしまいます。後はこのマンガが貴方の「タニ」ならないよう願うだけです。

フリーペーパー「Excitation & Sleepy」1号 2003年9月 にMiruzが書いた記事を転載しました。