▼『ジェリー』砂漠で得られるモノ、失うモノ

"Gerry"
Gas Van Sant
USA(2001)
Official Web

砂漠をドライブ中、休憩のために車を降りた二人の男は荒野で道に迷ってしまう。3日間彷徨った末に死に直面した二人を待っていたものとは…。

 映画『ジェリー』はガス・ヴァン・サント監督が『エレファント』と同じ手法を使ったと思われる実験映画。(『ジェリー』の方が先に撮っている)『エレファント』はコロンバイン高校の銃撃事件を題材にした映画で、被害者、加害者それぞれの事件が起こるまでの日常をの長回しで映し出した物だった。それぞれの日常を淡々と長く映し出したのにはわけがある。この事件で、なぜ彼らは殺さなければならなかったのか? なぜ彼ら彼女らは殺されたのか? そう言った事柄を製作者側が結論付けせずに、見ている者に委ねるため、考える時間を与えるためにわざと、特に何も起こらないシーンを重ねたのだ。

『ジェリー』も砂漠を彷徨う二人の男をひたすら長回しで撮った映画だ。なぜ彼らは砂漠に来たのか? 二人の関係は? そう言った事がまったく明らかにされず、セリフからも意味を読み取る事は難しい。二人はお互いをジェリーと呼び合い、"失敗”、"良くない”を意味する言葉にも"ジェリー"を当ててしゃべる。

『エレファント』は実際に起こった事件を題材にしているため、登場人物たちを待ち受ける運命に対して色々と考える事があるので退屈せずに見れるが、この映画では何を考えて見るべきかもわからないし、ヒントらしき物も少ない。だから普通に見たら、無計画なバカ二人が、バカ故に砂漠で迷ってしまう映画に見える。

 二人が同じ名前なのは、一人の人物の人格を二人の人物を使って描いているとか、砂漠をひたすら歩き続ける様は人生に良くにているだとか、解釈の仕方は様々に可能だ。しかし、色々と考えてもしっくりはこない。

 この映画はあまりの退屈さにいつしか二人に自己を投影してしまう。しかし自己を投影したところで、やって来るのは同情でも無ければ、嫌悪感でも無く、虚無感である。この映画が現代の虚無感を描いているのだとしたら、それは言葉で簡単に説明できる物では無い、映画でしか感じる事の出来ない複雑な物だ。自分なりの解釈としてはこう。

 長回しをする事で、ある種の感覚を見ている物に与えるという手法はある。青山真治監督の『ユリイカ』は苦痛を強いるようなショットの連続で登場人物の苦悩を表していた。しかし『ジェリー』では、そう言った感覚を得る程の価値があるだろうか? 私にはこの映画はあまりに退屈すぎる。

 ただ壮大なるアメリカの風景は凄い。幻覚を見るシーンも秀逸だ。

DVD: ジェリー
DVD: エレファント