『ウェブ進化論』梅田望夫 #04

1.「ロングテール現象」とは何か (要約)

    • ・しっぽの長い恐竜
      ロングテールという言葉は2004年から米国で少しづつ使われるようになった。
      物の売れ行きを多い順に並べてグラフで表したとき、市場に出ている商品で多く売れている物は左に寄っている全体の数%にすぎず、残のほんの少し売れているにすぎない商品が、右へとずらっと並ぶ。売れている部分は恐竜の首のように高い位置にあるが、首より後ろの部分は長い尾のように低い位置で続いていく。横から見た首長竜のシルエットのように見えるため、その低く長く連なっている部分をロングテールと呼ぶ。
    • ・アマゾン・コムとロングテール
      2004年に米ワイアード誌編集長クリス・アンダーソンが、「実際に店舗を出しているリアル書店に並べられている本以外の本からAmazon.comの半分(後に三分の一に訂正)の収入が得られている。」という問題提起をした。
      普通書店に置いてもなかなか売れないロングテール部分の商品が、ネット上では恐竜の首に当る売れる商品を凌駕してしまう。通常は店舗に商品を置いているとコストがかかるし、数多くはは置ききれない。しかし、ネット上ではリストに商品を載せるコストはほぼゼロに近い。
      Amazon.comのレコメンデーション(自動推奨)機能が、売れる商品に関連した売れない商品をロングテールから引き出すことが出来る。
    • ・「恐竜の首」派とロングテール派の対立
      Amazon.comGoogleは本の中身まで全て検索閲覧できるよう目指している。出版社からみれば「中身が見れてしまうと商品が売れなくなる」と言う発想になるが、Amazon.comGoogleの考えは違う
      これまで「出版社」はヒット商品=「恐竜の首」部分で主な収益を得てきた。その観点から見れば「本の中身検索」は絶対悪である。しかしロングテール部分で商売を目指すものにとっては、元々目につかず売れなかった本がどんな方法でも目につくならば意味があることになる。
      両者はその立場の違いから、現在は対立している。
    • ・グーグルのロングテール
      Amazon.comロングテールは「売れなかった商品」「もう売れなくなった商品」である。
      Googleロングテールは「未知の可能性」である。「アドセンス」には低コストで登録できる上に、出来高制のため誰でも簡単に広告主になれる。これにより今までよりも簡単に新市場に参加できるようになった。Googleロングテールとはこれまで広告など出すことの出来なかった、小さな企業、個人、極小メディアなどである。
    • ・「配信」ではなく「想像」
      丸山茂雄氏が主宰のmF247という音楽事業は、これからは「メジャー絶対優位の時代」から「個が発信し個が選択する時代」というように音楽マーケットは変わっていくとして「新しい音楽をまず無料で配信する」という選択をした。つまりmF247は、ロングテール部分に新規参入する楽曲を「情報」として無料化し、リスナーへの認知を最優先する。それによりCDの購入とライブ・コンサートへの参加を促す、新しい音楽ビジネスを構想している。
      これはGoogleロングテールである「未知の可能性」と同質のもで、今まである「商品」を売っていく方法だと可能性に限界があるが、この方法だと、ロングテールの裾野を広げ、より大きな可能性を拓くことができる。
    • ・大組織の「よし、これからはロングテールを狙え」は間違い
      ロングテールを狙うビジネスは「ネットを徹底活用」しない限り意味が無い。ロングテール現象はネット上でのみ起こる現象だからだ。
      大組織の考え方である、「ある集合の20%が、常に結果の80%を左右する」の反対概念がロングテール。リアル世界とネット世界のコストの構造の違いがロングテールに関する正反対の常識を生む。例えば電通にとっては、小さすぎてコストばかりかかる絶対に儲からない市場こそが、Googleの市場である。
      その小さな市場を相手にするためには、ニーズを自動的に正確にマッチングする情報発電所インフラが必要不可欠である。
      大組織にとって脅威なのは、彼らが無視してきたロングテール追求者たちが産業全体のルール破壊者となり、大組織が依存する「恐竜の首」部分の上顧客を徐々に奪いつつあること。

確かに「ロングテールの存在を認識し、それを対象にビジネスを行う」という発想は面白い。消費者がロングテールを対象としたときに生まれる自由度の問題。つまり「人はあまりに自由すぎると逆に不自由を感じる。何をするべきなのか? 何を選ぶべきなのか? 何も指針がないと不安になる」という問題を情報発電所が解決してくれるというわけですね。しかもGoogleはその情報発電所の作り出す「指針」を完全自動化することにより、人間を関与させず(つまり人間の負の部分を排除した)「完全な民主主義による公平」を目指しているわけです。しかし人間はその「完全な民主主義による公平」に満足できるのか? これはやってみないと解らないですよね。案外、大多数の消費者は「大組織の押し付けた選択」へ戻っていってしまうかもしれません。その方が「より自分で考えること無く、安心していられるから」という理由で・・・
mF247
丸山茂雄の音楽予報

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)