『駆け上がる人』Miruz

駆け上がる人

Miruz
早朝の込みあった電車が、西上駅の1番線ホームに入っていく。僕は読みかけの文庫本をポケットにしまい、出口の前に移動した。列車が停車する。ドアが開く。他の乗客とともにホームへと流れ出る。
ちょうど目の前に上り階段が来る。そのためにこの車両に乗ったのだ。ほとんどの乗客がエスカレータに駆けよる。しかし僕はそこを避け、隣の階段を駆け上がる。エスカレータは込みあうためリスクが大きい。今日は雨が降っているから、電車が遅れ気味だ。まにあうだろうか。しかしあの女にさえあわなければ大丈夫だ。そう思いながらダッシュした。


なぜこんなに急いでいるかというと、この時間の乗換えにはほとんど余裕がないからだ。いつも通勤のために、朝の5時20分発の電車に乗って、この西上駅にやってくる。そしてここから5時44分発の電車に乗り換えなければならないのだが、時間がほんのわずかしかない。しかも階段を二階分上がらねばならない。階段の近くに停車する車両に乗り込み、走って階段を上がらないと乗り遅れてしまうことがたまにある。そして乗り遅れてしまうと、なんと会社に遅刻してしまうのだ。
そんなギリギリの時間に出勤しているのだが、なにぶん早朝にのため、通勤のピーク時とくらべ本数が少なく、その一本前の電車に乗るためには15分速く家を出なければならない。朝の苦手な僕にとって15分は貴重。ゆえにこの電車になってしまう。したがって今日も階段をダッシュする。
始めの階段を上り終わり、一つ上にあるホームへ上がる階段の下まで行くと、僕は恐る恐る顔を上げて階段の上を見た。あの女はいなかった。白い服を着たあの女。少し安心して駆け上がる。電車はまだ発車していなかった。
あの女とは何者か。それは僕にもわからない。ただ言えることは、その女を見かけるときは確実に電車に乗り遅れて遅刻してしまうのだ。なんとも奇妙なことに。
初めてその女を見かけたのはいつごろだったろう。ごくたまに現れるその女は、身長170cm以上はあろうと思われる背の高い女で痩せ型。いつも白い服を着ていた。そう、見かけるときは必ず白いワンピースを着ていたんだっけ。そして長く黒い髪の毛を振り乱しながら、階段を駆け上がっていく。まぁ彼女も僕同様、電車に乗り遅れまいと必死なのだろうから、仕方がないことかもしれないが。しかしひどく目立つし、何かその姿は不気味だった。
あるとき僕は女の顔を一度も見ていないことに気づいた。ホンのたまに見かけるだけの彼女なのだけど、あの駆け上がる姿は僕にとって朝の名物になっていたから、どんな顔をしているのかとても興味がわいた。しかしなぜいつも後ろからしか見れないんだろう。この駅まで乗ってくる列車の中で女を見かけたことが無いのは、この駅に乗り入れている他の路線を利用してくるからだろう。いつか追い越して顔を確認してやろう。そう思ってからは彼女を見かけると、いつもより力を入れてダッシュした。
女に追いつこうと頑張り初めてから奇妙なことに気がついた。彼女が僕の後ろから来ることは今まで一度もないし、そして彼女を見かけたときに限って電車に乗り遅れるのだ。だから電車に乗り込んでからゆっくり女を探すことができないのだ。不思議なことに電車に間にあったときには彼女は始めから現れないし、間に合わなかったときだけ前を駆け上がっているのだ。そして僕とその女の、遅刻を賭けた奇妙な追いかけっこが始ったのだ。


今日は朝から急に雨が降りだした。天気予報ははずれだよ。だから電車も微妙に遅れ気味。ホントこのわずかな遅れで電車に乗り継げ無いんだよ。しかもチョット寝坊して慌てて家を飛び出したものだから、間違えて女物の赤い傘を持ってきてしまった。これって結構派手なデザインなんで、さすと恥ずかしい。ホントに今日は運が悪い。もはや遅刻は決定か。朝イチから大事な打合せがあるというのに。
電車が西上駅のホームに入った。最近あの女を見かけてはいない。つまり遅刻も長いことしていなかった。今日もあの女に会いませんように。祈りながら電車を降りると、ダッシュで階段を上がった。
2番目の階段の下まで来ると僕は意を決して上を見た。あの女はいた。長い髪を乱れさせて、白いワンピースを着た彼女が階段を駆け上がっていた。
女はまだ階段の真ん中辺りだ、今度こそ全速力で駆け上がり追い抜いてやる。そうすればなんとか電車にも乗れるのではないか。
僕はなりふり構わず突進した。都合よく他の乗客が僕の進路にはいない。何段もの階段を飛び越えて僕の目にはもう彼女の後ろ姿しか目に入っていなかった。
階段を上りきる瞬間、僕は遂に彼女の直ぐ後ろまで追いついた。よしっ、後一歩踏み出せば追い抜くことが出来る。彼女に勝った。そして遅刻せずにすむ。
大きく右足を踏みだす。しかし足は空中で空回りした。そして急に体が落ちていくあの感じ。ジェットコースターに乗って落ちていくときに胸の奥で感じるあの怖い感覚。
ドサッ、という鈍い音がして全身に痛みが走る。コンクリートと鉄のレールに身体を打ち付けてしまったらしい。顔をあげる。白い服の女の姿は見当たらない。その時僕は女のあざ笑う声が聞こえたよう気がした。だけどそれを確かめる間もなく、5時44分発の電車の車輪と凄まじい轟音が目の前に迫ってきた。


早朝の込みあった電車が西上駅の1番線ホームに入っていく。僕は読みかけの雑誌をカバンにしまい、出口の前に移動した。列車が停車する。ドアが開く。他の乗客とともにホームへと流れ出る。
始めの階段を上り終わり、一つ上にあるホームへ上がる階段の下まで行くと、僕は恐る恐る顔を上げるて階段の上を見た。あの男はいなかった。女物の赤い傘をもったあの男。少し安心して駆け上がる。電車はまだ発車していなかった。
Rush upstairs
2001/01/06初
2001/02/10改