『本の読み方 スロー・リーディングの実践』平野啓一郎 #05

  • 「第3部 古今のテクストを読む」(続き)

自作の登場です。ショパンドラクロワを主人公に二月革命前後のヨーロッパ社会を描いた長編。
ここではドラクロワの師でもあったジェリコーという人物について、短いながらも効果を上げるた重層的な比喩表現を行っている。
比喩がキマッている状態とは、提出されたイメージが、現実に重層的に対応している時。上滑りしている比喩は、イメージの些細な一点だけがかっすっていている場合。
本作においてはジェリコーを印象付けるために「荒馬」という言葉を使っている。実際に彼は「死に急ぐ」タイプの人間で、ロマン主義で画壇の先陣をきって疾走した。ドラクロワにとって、とても頼もしく見えたジェリコーのイメージに荒馬を乗りこなしている姿を重ねている。実際に彼は落馬によって生涯を閉じている。「荒馬」という言葉のイメージを使ってジェリコーの様々な側面を描いている。比喩の力を用いて、ジェリコーの一生を圧縮的に、統一的に表現したのである。
例文は確かにジェリコーがとても魅力的に描かれて印象深い。お見事。
作者への反感によって生まれた疑問もその意図を探ることで「作者という他者」を理解することへと通じる。また反感は「こう書いた方がいいんじゃないか」といった発想へつながり、創造性を養うことにもなる。
本を読むときはあまり無理せずに休養を挟みながら読む。無理な読書は理解を妨げるだけでなく、内容自体を歪ませてしまう場合もあるからだ。


余談だけど、『葬送』の中でジェリコーには「人に真似の出来ない無垢な優しさがあった」とある。この「無垢な優しさ」というのになんかあこがれを感じる。私の場合優しさというものが仮にあるとしても、それはかなり意識的な優しさにすぎない、計算された優しさであるからです。

葬送 第一部(上) (新潮文庫)葬送 第一部(下) (新潮文庫)葬送 第二部(上) (新潮文庫)葬送 第二部(下) (新潮文庫)

フーコーまで登場してしまいました。いやー、本当に自然の景色って美しいね。って、そりゃ風光明媚でしょっ! ってくらい、思想家の話には疎い私ですが、がんばって読んでみました。
フーコーは「先ず通説を説き、否定して、自身の主張を展開する」という論法を繰り返して本書を書いている。
「しかし」や「だが」のような逆接の接続詞を挟んで、「否定されるべき通説→逆接の接続詞→自身の主張」となっているため、ペンで印を書き込み文章を視覚化して整理する。
「確かに」という言葉がでてきたときも、それは自分の意見に対しての反論が予想されるとき、先回りしてそれに言及し、さらなる反論を用意する時に使われる。
これはプラトンの対話篇に始まるヨーロッパの伝統的なテクストのスタイルで、自分が文章を書いたり相手を説得する時にも非常に効果的だ。
また、ずるいテクニックとして、「一般論(相手の主張)」の部分に一般論に見せかけた、こちらの主張で容易に論駁できる主張を忍ばせておく。という方法もある。これは凄い方法だし、詐欺師が使いそうな方法でもありますね。自分で活用すのではなく、だまされないためにも頭の片隅にでも置こうということでした。
かなり手間のかかる方法だが理論的で難解な文章を読むためには有効な手段だと思う。こういう文章をサッと読んで理解しようと言う方がおこがましいのでしょうし、理解しようと努力せずに投げ出してしまうのまうのも怠慢なのでしょう。努力無くして前進はあり得ないのですね…


フーコーはフランスの思想家だが、ドイツの思想家とフランスの思想家の違いを、ドイツ的サッカースタイルとフランス的サッカースタイルを例にとって解説していてなるほどと思った。
またフーコーの権力分析によると”権力というのは一般に上から圧迫してくるというイメージがあるが、権力を一対一のの対人関係のレヴェルまで微細に追求すると、権力がむしろ、下から積み上げられてゆくものであることがわかる”らしいのです。なんか意味はわからないけど、とても興味深い。

あとがきにもあるが”本を読むときにこれほど面倒臭いことを考えなければらないのか”と思うかもしれないけど、すべては慣れであって、この本を読んだ後ならば、強く意識せずとも自然と本を読むポイントについて自覚的になっている。という事です。
いくつも参考になるところがあって、このブログを始めたばかりの時期にこの本に出会えて良かったです。少なくとも「速読コンプレックス」は克服できたかな(?)
本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)