『高校生のための文章読本』梅田卓夫, 他 編 #02

  • 「”夜と霧”の爪跡を行く」開高健

アウシュビッツとビルケナウの収容所跡で見た、言葉では表すことの出来ない圧倒的な悲劇。

    • 本文

アウシュビッツ収容所の親衛隊員の部屋ので、開高は壁にかけられたヒトラーの写真と「国家は一つ、民族は一つ、総統は一人。」と書かれたスローガンを見つける。
収容所の外にはドイツ兵のための娯楽室があった。
ビルケナウの収容所にはガス室と火葬室があったが、ナチス撤退の際に爆破され、今はその痕跡が残っているだけ。
一日に2000人もの焼却能力のある火葬室だが、そこで処理しきれないほどの死体がでて、それらは森の中の空き地に掘られた穴でまとめて焼却された。
その穴は現在水が溜められ池になっている。開高はその池の中に沈んでいる「貝ガラを散りばめたように真っ白になり、それが冬陽のなかでキラキラ輝いていた」無数の人骨を目撃する。
「国家は一つ、民族は一つ、総統は一人。」というスローガンと、池のなかで輝いている骨。人間の手によって行われた想像を絶する悲劇。その悲劇の跡地を目の当たりにして開高は言葉を失う。

一度微塵に砕かれてみたいと思った予感は冬空のしたで完全にみたされた。全ての言葉は彼は一枚の意味も持たないかのようであった。

    • 解説

開高はアウシュビッツやビルケナウの跡地に立ち、そこで起きた事実を実感する事で、今までの自分の想像の枠の中で紡がれてきたにすぎない「ことば」や認識を「砕かれてみたい」と思ったのだ。
虐殺を体験した事の無い我々にどのような言葉を持ってしてその事実を伝えられるのか? 人間は「ことば」によって世界を知る事は出来るが、その「ことば」でどれほどの未知な世界を知る事が出来るのだろうか?
開高はその事実を「ことば」では伝えきれないと考えるが、「貝ガラを散りばめたように真っ白になり、それが冬陽のなかでキラキラ輝いていた」という風景描写による悲劇の表現は、一度微塵に「ことば」を砕かれたからこそ出てきたものである。


自らの認識の枠や表現の枠を、自分の想像を越えているであろう現実を見る事で、一度砕き、さらなる大きな認識や表現を手に入れようとする、文学者としての態度に共感しました。これもとてもいい文章でした。

高校生のための文章読本