『ウェブ進化論』梅田望夫 #07(要約)
ブログと総表現社会(途中まで)
1.ブログとは何か
- 面白い人は100人に1人はいる
- ブログが社会現象として注目されるようになった理由は二つある。
一つは「量が質に転化した」から。ブログの総数が数万のときと、数百万のときでは質の高いブログのそろい方が全然違う。今までは、ものを書いて表現してきた者(プロの書き手)は、ほんのわずかだった。
- ブログが社会現象として注目されるようになった理由は二つある。
- 「書けば誰かに届くはず」
- ブログには参入制約がないから、総体として玉石混交になる。石の方が圧倒的に多い。ならばプロの書き手にあらかじめ編集されたものを始めから見た方が無駄がない。こういった玉石混交の問題が、いままでネット上のメディアにインパクトのあるものが限定的だった理由。
- ブログが社会現象化したもう一つの理由は玉石混交の問題を解決する糸口が、ITの成熟によってもたらされつつあるという予感である。それにより書き手も「誰にも読まれないだろう」から「書けば誰かに届くはず」に変わりつつある。
- Googleの検索エンジンは、言葉の組み合わせから、それに最適な情報を選び出す。それに加えて、書き手どうしをつなげたり、読み手の関心領域に近いブログを発見する仕組みなどが、日々進化を続けている。
- 「自分にとって意味のあるものを」見つけ出す技術はビジネス的にも未知の領域が広がっている。
- 記事固有のアドレス付けとRSS配信。
- 大きく異なる日米ブログ文化
今まで繰り返されてきた、玉石混交をよりわける仕組みの確かさの根拠が、あまり示されていないので、本当にこれから「自分に合った玉」を簡単に見つけられる時代が本当に来るのだろうか? と思ってしまう。
2.総表現社会の三層構造
- メディアの権威はなぜブログを嫌悪するのか
- 総表現社会の1000万人
- ネットやブログをめぐる論説に「不特定多数無限大」の参加は「衆愚」になるというのがある。
- 「エリート対大衆」という二層構造でなく三層で考える。既存の権威に認められた表現者(一万人に一人くらいのしかいない)と大衆の間に、総表現社会参加者の層(10人に一人くらいの面白い人)がいて、彼らが表現者として参加してくる。
- finalventというブロガーは「ブログにおいてニーズがあるのは専門と一般をつなぐブログ。専門=権威をわかりやすく市民に啓蒙するのは権力の構造なので、それをブログが行うことに意味はない。ブログにできることは、大衆の健全な常識の連帯を促すことではないか。ブログを読みながら、ある種フツーなふーん、そーだよねー、というふうに意識を再確認するという連帯があると思う*2(要約)」と書いている。その「ふーん、そーだよねー」的連帯が総表現社会参加者層で生まれるのではないか?
- 小泉圧勝を解散時に誰が予想できたか
確かにメディアの権威者やその側の表現者にとって、総表現社会参加者層(どうですかねこのネーミング)はけっこう脅威なんでしょうが、それを本当に脅威と思っている人は、どれくらいいるのでしょうかね? まだ力を持っているうちに潰しにかかるのでしょうか?
いずれにせよ今プロである表現者も玉石混交であるわけだから、それが玉だけになってくれるのかな。
finalventさんの言う「ふーん、そーだよねー」的連帯の形ってすごく本質をついてますよね。これの蓄積ってバカになりませんよ。でも蓄積されると、力=権威になってしまうので、あくまで連帯なんですよね。