『壁男』早川渉 監督 諸星大二郎 原作 テアトル新宿

映画『壁男』観てきました。

原作

原作は諸星大二郎の『壁男』ですが、この原作じたいが、壁の中に人がいるっていうワンアイディアで描き始められたような感じで、描き出してから徐々にどんな話しにしようか決めていったような印象の作品。(諸星自身、壁男公式サイトのインタビューでもそんな事を言ってました。)
もともと外部を覗き見るだけで、外部に干渉する事が無かった壁男たちだったけど、外部から侵入した壁女の存在によって壁内部と外との境界が曖昧になり始め、それとともに、壁男たちは外部との関連上その存在意義が問われ始める。そんな壁男にアイデンティティが発生することによる壁男の崩壊を描く作品にしてしまう手腕はもう、諸星大二郎のすご技です。
しかも、ラストに壁から飛び出た手を引っ張ると、壁が崩れその内部の壁男たちが一瞬姿を現すというシーンがある。他にだれも描かない、諸星ならではの幻想的でハッタリのきいたシーンだ。こんな凄い絵を挿入する事で、この不条理で不可解な物語にカタルシスをもたらし、水準以上の作品に仕上げてしまうところなどは、さすがとしか言いようがありません。

壁男 (双葉文庫 も 9-4 名作シリーズ)

壁男 (双葉文庫 も 9-4 名作シリーズ)

映画

で、映画版『壁男』なんですが、こちらは原作から壁の中に何かが存在するというモチーフだけを取り出して、まったく違う話しに仕上げています。
壁は外側と内側を隔てる存在。外側でも、内側でもない、境界。その境界に存在する何かに取り付かれていく男の話し。
色々とこじつけて考えれば、壁は隔てる存在でありながら、内部の出来事、あるいは外部の出来事をその反対側に伝える存在。そういう風に考えれば、主人公の仁科(堺雅人)はカメラマンであり、写真の中の世界と現実の世界を隔てながらも、その二つの世界をつなぐ伝達者である。恋人の金沢(小野真弓)もテレビレポーターであり、テレビの中の世界と現実の世界を隔てながらも、つなぐ伝達者である。そして世間の人々はストーカーに、マザコンに、心に壁を作って、閉ざしている者ばかり。そんな世の中で、ラストに彼ら二人は壁男と壁女になる事によって究極の伝達者になるのである。
なんて、そんな解釈は間違っているとは思いますが、監督自身が映画の中でTV局のスタッフの口を借りて自己言及しています。「アバンギャルド作品てやつさ。わからないから面白いんだろ」って。ですからわからなくてもトンチンカンでも何でもいいんですよこの映画は。
低予算なのは仕方が無いけど、原作の方には先に書いたような、崩れる壁の中から壁男たちが一瞬姿を見せるようなカタルシスのあるシーンがちゃんと用意されているのですが、映画にはあまりそういった面白いシーンがありません。都市伝説を重要な要素として持ってきているところもマイナス点。もう都市伝説ネタの作品にはあきあきです。