『ウェブ進化論』梅田望夫 #10
オープンソース現象とマス・コラボレーション
1.オープンソース現象とその限界
- オープンソースの不思議な魅力
- マス・コラボレーション*1
- 貧しく、医療スキルの低い国々でのコレラの問題がネット上に提出されただけで、さまざまな分野のプロフェッショナルが参加して、わずか数ヶ月の間にこの問題が解決されたことがある。*2
- その現象の読後感を、村山尚武氏は「無数の凡人がお互いに思考を共有し、足りない部分を補い、アイディアの連鎖を起こすことにより、より大きなインパクトを文明に与えることができた」「より多くの人に「自分の生きた証」を残す道を開いた」「参加した人たちは、自分の貢献したアイディアが、まるでジグソーパズルをはめ込んで行くように形作られて行く快感を味わったはずである」(要約)*3と綴った
- この出来事は、人の命に関わる領域で満足感も高く、組織に属さずとも上質な達成感を得られたのではないか? 「オープンソース現象」の成功例。
- MITのオープンコースウェア
- 米マサチューセッツ工科大学(MIT)には、講義内容をインターネット上で無償公開する「オープンコースウェア*4」という巨大プロジェクトがある。
- 2002年9月にパイロット・プログラムが動き出したときには熱狂的支持を集めたこのプロジェクトも2005年末の現在、勢いが構想時に比べ格段に落ちてしまった。
- 思想はオープンソースに影響されていたとはいえ、有志の共同作業によるものとは違い、既存組織内で閉じていた情報を組織全体の関与によってオープンにしていくという試みであったし、大学事業自身を脅かす可能性を秘めていたため、前向きにプロジェクトに参加しない者もいた。
- 結果「学びたい世界中の人たちへのプラットフォーム」から「教えたい世界中の教員が参考にし、情報交換するためのサイト」へと換骨奪胎されてしまった。「オープンソース現象」の失敗例。
- 著作権が平行線をたどる理由
- プロのプログラマーなどにも、オープンソースを苦々しく思う人たちもいる。
- Googleの「グーグル・ブックサーチ」なども広義の「オープンソース現象」だが、ロングテール派は積極推進で、恐竜の首派は絶対反対である。米出版社協会側は「Googleは出版社、著者の財産にただ乗りしている」といい、Google側は「情報の存在を見つけられるので、売り上げに貢献できる」としている。
しかし本質的にはGoogleが「検索エンジンに引っかからない情報はこの世に無いも同じ」と出版社を脅かしている。 - 著作権の議論が平行線をたどるのは、議論の当事者が著作権に鈍感な人と、著作権に極めて敏感な人に分かれていて、そこに深い溝があるから。それは「何によって生計を立てているか」「これから何によって生計を立てるか」の違いによって生まれる場合が多い。
- 「総表現社会の到来」というのは、著作権に鈍感な人の大量新規参入を意味する。新規参入者の大半は、表現それ自身によって生計を立てる気はない。
- 総表現社会のサービス提供者は「表現されたコンテンツの加工・整理・配信を事業化する」人たちで、既存の著作権の仕組みを拡大解釈するか、改善するべきだと考えている。
- 「狂気の継続」を阻むリアル世界のコスト構造の壁
コレラの問題が解決された事例は興味深く面白いですね。MITの「オープンコースウェア」は自分とは縁遠い感じでピンとこないけど、もう少し時代が経って教授陣の世代が変われば理想的なものになるのではないかな。
私は書店員なので「グーグル・ブックサーチ」には興味があります。リアル世界で本を売る立場としても本の全文検索には大賛成です。
私は主にコミックの棚を担当しています。コミックは基本的にビニールをかけて読めないようにしているのですが、これは、立ち読みによる本の破損と棚の前の人だかりを避けるために行っているので、新刊やおすすめの本はなるべくビニールをかけずに立ち読みできるようにしています。この方が集客率がよく、現におすすめの本は売り上げが確実にアップします。
本の内容が丸ごとネット上にアップされたとしても、小説などの長文をPC上で読むのは疲れますし、簡単にさくさくとページをめくれなければ、マンガを読むのにも適さないでしょう。ここまでは紙媒体にアドバンテージがあります。でも、SONYのe-Bookリーダーの様な端末が高性能で安価で出てきて、そこにどんどんネットから無料で落としてきたデータを放り込まれたら、本は売れなくなるでしょう。
全文検索できたとしても、ダウンロード、コピーができないような体制ができさえすれば完璧なのだと思います。ただこれも裏技的なものがすぐ出てきていたちごっこになるのでしょうね。